1.後輩の成功を素直に喜べない
後輩が難しい手術を成功させた。優れた研究成果を発表した。そんな話を耳にすると、素直に喜べない自分がいる。
「すごいな」と思う一方で、「自分もそのような手術を経験したかった」「自分ももっと成果を出したい」という悔しさが湧いてくる。時には、後輩が熱心に手術の練習をしていることを知るだけで、焦りを感じることさえある。
私は脳神経外科医として、これまで手術技術の向上や研究に取り組んできた。自分なりに努力を重ね、少しずつ経験を積んできたつもりだ。それでも、優秀な後輩の活躍を知ると、自分が取り残されているような気持ちになることがある。
後輩が努力していることも、その成果が本人の努力によるものであることも理解している。本来であれば、同じ分野で働く仲間の成長は喜ばしいことのはずだ。
しかし、頭ではそう理解していても、感情は必ずしもついてこない。
「後輩には負けたくない」
そう思う自分がいる。
不思議なのは、後輩が成功したからといって、自分の実力や経験が失われるわけではないということだ。
昨日までできていた手術が、後輩の成功によってできなくなるわけではない。これまで積み重ねてきた研究成果が消えるわけでもない。
それなのに、後輩の成功を知った途端、自分の価値が下がったように感じてしまうことがある。
そして、他人の成功を素直に喜べない自分に対して、さらに複雑な気持ちになる。
こうした感情は、医師に限ったものではないだろう。企業で働く人、研究者、教育者、スポーツ選手など、自分の仕事に真剣に取り組んでいる人ほど、身近な誰かの成功に焦りや悔しさを感じることがあるのではないだろうか。
最近、そんな自分の嫉妬について改めて考える機会があった。
そして、嫉妬という感情の奥には、単に他人に負けたくないという気持ちだけではなく、自分自身の理想に対する強い思いがあることに気づいた。
2.嫉妬の奥にある本当の気持ち
なぜ、後輩の成功を知ると、これほど悔しい気持ちになるのだろうか。
最初は、単純に後輩に負けたくないからだと思っていた。しかし、自分の感情について改めて考えてみると、それだけではないことに気づいた。
私は以前から、もっと高い手術技術を身につけたい、難しい手術にも安全に対応できる外科医になりたい、研究でも優れた成果を残したいという目標を持っている。
その理想に向かって努力を続けているつもりだが、現在の自分が十分に到達できているとは思っていない。
そんなとき、後輩が難しい手術を成功させたり、優れた研究成果を発表したりしていることを知ると、自分がまだ到達できていない場所に、後輩が先に進んでいるように感じてしまう。
つまり、私が本当に苦しく感じていたのは、後輩の成功そのものというよりも、後輩の成功によって、自分の理想と現実との距離を強く意識させられることだったのだと思う。
さらに考えてみると、もう一つ気づいたことがある。
仮に、その後輩がいなかったとしても、私は現在の自分の手術経験や研究成果に対して、同じように不満を感じていたかもしれない。
そう考えると、後輩の存在が不満を生み出しているわけではないのだろう。
もともと自分の中にあった理想と現実の差を、後輩の活躍によって、より強く意識させられているのかもしれない。
心理学には「社会的比較(social comparison)」という概念がある。人は自分の能力や立場を評価するとき、他人と比較することがある。
特に、自分より優れていると感じる相手と比較することを「上方社会的比較(upward social comparison)」という。
こうした比較は、自分の目標を明確にしたり、努力する意欲を高めたりすることがある。一方で、相手との差を強く意識すると、劣等感や嫉妬につながることもある。
私の場合、後輩が自分と同じ分野で努力し、自分が目指している成果を上げているからこそ、その成功が強く心に響くのだろう。
ここで、自分自身に一つの質問をしてみた。
「もし今後、自分が理想とする実力や成果を手に入れたとき、後輩がそれ以上に成功していても、自分の成長に満足できるだろうか」
少し考えてみたが、私の答えは「満足できると思う」だった。
この答えは、自分でも重要な発見だった。
私は後輩に負けたくないと思っている。しかし、それ以上に、自分が理想とする外科医になりたいという気持ちが強いのだと気づいた。
もし自分が目指している手術技術を身につけ、納得できる研究成果を残すことができれば、後輩がさらに活躍していたとしても、自分自身の成長を認めることができると思う。
そう考えると、後輩の成功は、自分の価値を下げるものではない。
むしろ、自分が本当に何を目指しているのかを気づかせてくれる存在なのかもしれない。
もちろん、そう理解したからといって、嫉妬がすぐになくなるわけではない。
それでも、嫉妬の奥にある自分の願望に気づいたことで、この感情との向き合い方が少し変わるように思えた。
3.それでも、後輩に勝ちたい
自分にとって本当に大切なのは、後輩より優れていることだけではなく、自分が理想とする外科医に近づくことなのだと気づいた。
しかし、そう考えても、やはり後輩には負けたくないという気持ちが残っている。
手術技術でも、研究でも、できれば後輩を超えたい。
単に周囲から高く評価されたいというだけではない。実際の能力として、もっと優れた外科医になりたいと思っている。
そのために努力を重ねてきたし、これからも努力を続けていきたい。
では、このような競争心は、なくした方がよいものなのだろうか。
心理学には、嫉妬を「良性の嫉妬(benign envy)」と「悪性の嫉妬(malicious envy)」という二つの側面から捉える考え方がある。
良性の嫉妬とは、他人の優れた能力や成果を見て、自分もその水準に近づきたい、できれば追い越したいと感じるものである。
一方、悪性の嫉妬とは、相手の成功を妬み、相手の評価が下がることや、相手が失敗することを望む方向に向かうものである。
もちろん、人間の感情をこの二つに明確に分けられるわけではない。同じ相手に対して、尊敬と嫉妬、向上心と悔しさが入り混じることもあるだろう。
それでも、この区別は自分の感情を考えるうえで参考になった。
例えば、後輩が難しい手術を成功させたとき、「自分もその手術を安全にできるようになりたい」と考えることと、「後輩が失敗すればよい」と考えることは、まったく異なる。
前者は、自分の能力を高める方向に向かっている。後者は、相手の能力や評価を下げる方向に向かっている。
私は、後輩に勝ちたいと思っている。
しかし、それは後輩に失敗してほしいという意味ではない。
後輩が努力して優れた外科医になることは、患者にとっても、医学の発展にとっても望ましいことだ。
そのことを認めたうえで、自分はさらに高い水準を目指したい。
そう考えると、競争心そのものを否定する必要はないのだと思う。
むしろ、優秀な後輩がいるからこそ、自分の不足している部分に気づき、もっと努力しようと思えることもある。
ただし、競争心には注意すべき点もある。
他人との比較ばかりに意識が向くと、自分がどれだけ成長していても、相手がさらに先に進んでいる限り、満足できなくなってしまう。
また、医師の場合、手術の難易度や症例数で競争することが、患者にとって最善の判断につながるとは限らない。手術は競争のために行うものではなく、患者の利益を第一に考えるべきものだからだ。
競争心は、自分の技術や知識を高めるために使うべきであって、患者の治療方針を左右するものであってはならない。
大切なのは、後輩に勝ちたいという気持ちをなくすことではなく、その気持ちをどこに向けるかということなのだろう。
後輩の成功を見て悔しいと感じたとき、その感情を自分の努力につなげることができれば、嫉妬も成長のきっかけになり得る。
そして、もう一つ考えるようになったことがある。
後輩に勝ちたいと思いながら、同時に後輩の成功を願うことはできるのだろうか。
この問いについて考えるきっかけになったのが、以前目にした、他人の幸せを願うという一つの言葉だった。
4.他人の幸せを願うという考え方
以前、ある言葉を目にしたことがある。
「この人にすべての良きことが雪崩のごとく起きます」
実業家の斎藤一人さんの教えとして知られる言葉である。
すれ違う人や出会った人に対して、心の中でこの言葉を唱える。1日100人に対して実践するという方法も紹介されている。
他人の幸せを願うことで、自分自身にも豊かさや幸運が訪れるという考え方だ。
最初にこの話を聞いたとき、私は少し不思議に思った。
なぜ他人の幸せを願うことが、自分の成功につながるのだろうか。
さらに、自分にとって競争相手である後輩の成功を願うことは、果たして自分のためになるのだろうか。
この教えでは、他人の幸福を願うことで「豊かな波動」が生まれ、幸運を引き寄せると説明されることがある。
もちろん、こうした波動によってお金や成功が引き寄せられるという仕組みは、科学的に証明されていない。
しかし、他人の幸福を願うという行為そのものには、心理学的に興味深い側面がある。
仏教には「慈悲の瞑想(loving-kindness meditation)」という方法がある。
自分自身や他人に対して、「幸せでありますように」「苦しみから解放されますように」と願う瞑想法である。
慈悲の瞑想については心理学的な研究も行われており、肯定的な感情や他者への思いやり、心理的な健康状態などに良い影響を与える可能性が報告されている。
ただし、特定の相手への嫉妬が必ず減少することや、仕事で成功することまで証明されているわけではない。
それでも、他人の幸福を願う習慣が、自分の感情や他人への接し方を変えるきっかけになる可能性はある。
私は、この言葉を成功を引き寄せる魔法としてではなく、自分の心の向きを変えるための一つの方法として捉えてみたいと思った。
5.後輩の幸せを願いながら、後輩を超える
ここで、一つの疑問が生じる。
後輩の幸せを願うことと、後輩に勝ちたいと思うことは矛盾しないのだろうか。
最初は、少し矛盾しているように感じた。
しかし、よく考えてみると、必ずしもそうではない。
例えば、スポーツ選手はライバルを尊敬しながら、試合では本気で勝とうとする。
研究者も、他人の研究成果を認めながら、自分はさらに優れた研究を目指すことがある。
相手の成功を認めることと、自分が相手を超えたいと思うことは、両立する。
後輩が優れた外科医になっても、自分が優れた外科医になる可能性が失われるわけではない。
後輩の成功は、自分の失敗を意味するものではない。
そう考えると、後輩に対しても、次の言葉を唱えてみることができるかもしれない。
「この人にすべての良きことが雪崩のごとく起きます」
そして、続けて自分自身にも同じ言葉を向ける。
「私にもすべての良きことが雪崩のごとく起きます」
さらに、
「私は自分の努力を積み重ね、理想の自分に近づいていきます」
と考えてみる。
後輩の成功を願う。
自分自身の成功も願う。
そして、自分の目標に向かって努力する。
この三つは矛盾しない。
むしろ、後輩への嫉妬に心を奪われる時間を減らし、自分の成長に意識を向けるための方法になるのではないかと思う。
6.嫉妬を成長につなげるために
では、実際に嫉妬を感じたとき、どうすればよいのだろうか。
今回、自分なりに考えたのは、次のような方法である。
まず、嫉妬していることを認める。
「今、自分は後輩の成功を悔しいと感じている」
そう自覚するだけでも、自分の感情を少し客観的に捉えられるかもしれない。
無理に嫉妬を否定したり、後輩を祝福しようとしたりする必要はない。
次に、相手と自分の両方の幸せを願う。
そして、その嫉妬の背後にある自分の願望を考える。
例えば、後輩が難しい手術を成功させたと聞いて悔しくなったとする。
そのとき、
「後輩に負けている」
という考えだけで終わらせず、
「自分もそのような手術を安全にできる外科医になりたいのだ」
と考えてみる。
後輩が優れた論文を発表したときには、
「自分も臨床的に価値のある研究成果を出したいのだ」
と捉え直す。
そして、その願望を具体的な行動につなげる。
手術動画を見直す。解剖の理解を深める。手術手技を練習する。研究を一歩進める。
嫉妬を感じたからといって、すぐに大きな成果を出す必要はない。
自分にできる小さな行動に変えていくことが重要なのだと思う。
もう一つ大切なのは、自分自身の成長を振り返ることである。
他人との比較ばかりを続けていると、どれだけ成長しても、さらに優れた人を見つけて不満を感じてしまうかもしれない。
だからこそ、過去の自分と現在の自分を比較する視点も必要だ。
以前は難しかったことができるようになったか。
以前よりも適切な判断ができるようになったか。
少しでも自分の理想に近づいているか。
他人との競争を続けながらも、自分自身の成長を認めることができれば、競争心による苦しさは少し和らぐのではないだろうか。
7.競争心を持ちながら、自分の人生に集中する
今回、自分の感情について考えてみて、嫉妬そのものが悪いわけではないと思うようになった。
嫉妬の背後には、自分が本当に大切にしている目標や願望が隠れていることがある。
私の場合、それは優れた外科医になりたいという思いだった。
後輩の成功が悔しいのは、自分もそのような成果を得たいと強く願っているからなのだろう。
そして、もう一つ気づいたことがある。
私は、後輩に勝ちたい。
しかし、後輩の成功によって自分の気持ちが大きく左右される状態からは、少しずつ抜け出したいとも思っている。
この二つの願いは、両立できるはずだ。
後輩に勝ちたいという気持ちは、これからもなくならないかもしれない。
それでも、その競争心を自分の成長のために使うことはできる。
後輩が成功したときには、その成功を願いながら、自分も努力を続ける。
そして、自分が理想とする姿に少しずつ近づいていく。
もちろん、今回考えた方法で、すぐに嫉妬がなくなるわけではないだろう。私自身、これから実践しながら、その効果を確かめていきたいと思っている。
大切なのは、嫉妬をなくすことではなく、嫉妬との付き合い方を変えることなのだと思う。
競争心をなくす必要はない。ただ、競争相手の人生ではなく、自分自身の人生に集中していたい。
